ヨーロッパで訪れた場所、走った道
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表題 | 内容 |
パリ脱出 |
9.11の直後、パリの空港で自動小銃の兵隊に連行された | |
アルプス一万尺 |
自動車のCMに現れるヨーロッパアルプスの山道について | |
ハンニバルの象が越えた峠 |
フランス・アルプス、デュランス渓谷を遡った所にあるトラベルセッテ峠説について | |
ルルド |
ピレネーの麓の「奇跡の泉」。敬虔な祈りの聖地と、対照的に歓楽的な町。 | |
ピレネー・アイリス |
高山植物として、最も大きな花をつけるピレネー・アイリスとシルク・ド・ガバルニーで会った。 | |
艱難辛苦の愉しみ |
ドイツ・シュバルツバルトの湖に面した小さなホテルでの艱難辛苦とは | |
寝台車は北極圏へ |
白夜のノルウェー、寝台車は北へ、風の町ボードーへ。若い一家との出会い。 | |
北極圏の町にて |
6月でも白樺の芽は固い北極圏の町。タクシー運転手が、太陽が戻ってくる日の事を話してくれた。 | |
ブレンナー峠を越えて北国へ |
南国イタリアへの憧れブレンナー峠。ここを北に向かって越えた人の中に、15歳でお輿入れのスペイン王女マルガリータ・テレサがいた。 | |
裸でクリスマス |
裸でクリスマスを迎えられるカナリア諸島。ホテルから最初に貰った部屋は陸側で……> | |
冬の旅 1 凍てついたル・ピュイ・アンバレイ |
寒さと雪のフランス冬の旅。中部フランスの巡礼の道の基点の一つル・ピュイ・アンバレイ> | |
冬の旅 2 カルカソンヌは遠かった |
寒さと雪のフランス冬の旅。『カルカソンヌを見て死ね』カルカソンヌへの雪と氷の遠い道 | |
冬の旅 3 雪のピレネー |
寒さと雪のフランス冬の旅。カルカソンヌ滞在後、雪のピレネーをかすめて地中海沿岸を経てカマルグへ | |
冬の旅 4 カマルグの豪華オーベルジュ |
全くの偶然から飛び込んだホテルは、趣味でやっているような豪華オーベルジュだった | |
冬の旅 5 レ・ボー・ド・プロバンス 滅びの城 |
カマルグからの帰り道、ボー一族の居城 レ・ボーに寄った。 | |
ライン河 少年から青年へ |
意外に知られていない、スイスとフランスのライン河。水源から国境を経てアルザスまで。 | |
はーべんじーあいんつぃんまー |
ロマンチック街道の目玉、ローテンブルク近くの山間の温泉町のホテルにて。 | |
ノルマンディ海岸のカジノホテル |
ノルマンディ上陸作戦70年。最も激戦だったオマハ海岸のドッグ・グリーンに建つカジノホテル。 | |
ディエップで同志に会う |
ノルマンディに先立つ2年前、ディエップ上陸作戦が行われた。「無謀かつ無意味」の作戦だったが。 | |
時よ戻れ、貴方は偉大だった |
北フランスの小さな町で、40年ほどをタイムカプセルに閉じ込めたようなホテルに泊まった | |
ジェームズ夫人のBB |
イングランドはコッツウオールズ。英国人の大好きなLovery Dayの始まり、BBの女主人がパブリックフットパスへの散歩を勧めてくれた。 | |
レーティッシュ鉄道に乗ろう |
スイス山岳鉄道の雄、レーティッシュ鉄道、スイッチバックも無しの粘着運転で電気機関車牽引の大編成列車を走らせている。 | |
オテル ラ ルネッサンス ア ブリュイエール |
ロレーヌの小さな町ブリュイエール。日系二世からなった442連隊の古戦場。町1軒のホテル、ラ ルネッサンス。 | |
スコッチウィスキーの故郷にて |
スコットランドのハイランドのバーで若い頃のウィスキー修行の成果を見せる。山道から森の中を光りながら蛇行するスペイ川を眺める。 | |
カマルグとブルターニュ |
バカンス好きのフランス人が何故国外旅行に出たらがらないのか、その謎の一つを探る。 | |
ラグビーとビズーでツールーズの夜は更ける |
プロ・ラグビー・チームのオーナーと試合を見るということは物凄く疲れる社交であるということ。 | |
スペインの舞台でフラメンコを踊った |
本場の舞台でプリマドンナのダンサーと並んでフラメンコを踊り?、拍手喝采だった経験。 | |
アルハンブラの思い出 |
ギターの名曲『アルハンブラの思い出』。かつては弾けんたんだが、と思いつつグラナダ・アルハンブラ宮殿へ。 | |
『四季』 セントマーチン教会のオルガン |
本社から出張してきた、自称「冗句取締役」をアテンドしてロンドンへ。 | |
『全ての山に登れ』 スイス雪中ハイキング |
易しいことと景色の良さで世界最高と賞されるハイキングコースが雪で閉鎖されていた。 | |
ラスコーとクープ・デュ・モンド・フランス |
上野にラスコー洞窟展がやってきた。ワールドカップフランスの真っ最中、ボルドー方面をドライブ、ラスコーにも行った事を思い出した。 | |
シャモニ・モンブランとレディ・ダイアナ |
遊びに来た姪とシャモニへ。8月だというのに、がちがち・つるつるのエギーユ・ド・ミディから降りてきたらパリからの大ニュースが…… | |
ツール・ド・フランスとイゾアール峠(2360m) |
アルプスのイゾアール峠でツール・ド・フランス映画撮影隊に遭遇した。 | |
コモ湖とクラレッタ・ペタッチ |
コモ湖は風光明媚な保養地であるが、古くからの北方へのルート。ムッソリーニがスイスへの逃避を試みた。 | |
湖水地方で朝食にキッパーを食す |
ワーズワースとピーター・ラビットの湖水地方へドライブ。イングリッシュ・ブレックファストに替えてキッパーを頼んでみた。 | |
ヘイドリアンズ・ウオール(アドリアヌスの壁)にて |
ブリテン島におけるローマの最北の基地だった長大な要塞、アドリアヌスの壁。北イングランドの荒野を延々120キロ連なる。 | |
スカイ島 スコットランドの辺境 |
スコットランドの北西の端。SKYEは空ではなく、霧の意味とか。アルザスの我が家から2000キロ。 | |
ル・マン24時間レース2018 |
スポーツカーレースの最高峰「ルマン24時間」。2018年はトヨタが優勝したがその舞台裏は。 | |
ル・マン サルト・サーキットを走る |
「ルマン24時間」のサルト・サーキットの公道部分を走る。唯一の左ターン、インディアナ・ポリスは面白いよ。 | |
ヨーロッパの小さな国 |
バチカン市国、サンマリノ共和国、リヒテンシュタイン侯国、アンドラ公国、モナコ公国の一瞥記 | |
災難に遭う芸術作品 |
ヨーロッパの美術館にある『危ない目に遭う』美術作品たち。最後のレンブラントは実際に見たことが無い。 | |
デュッセルドルフ空港1996年夏 |
1996年4月12日、当時良く利用していたデュッセルドルフ空港が工事中の失火で火事が起きた。死者16人、重傷100人以上の大惨事だった。 | |
ノルウェーの旅1 スカンディナヴィア山脈列車横断の旅。 |
1998年5月23日。オスロからベルゲンへ。港町から港町まで496キロ。途中の最高地点1301m。 | |
ノルウェーの旅2 フロム線とソグネフィヨルド。 |
1998年5月24日。フロム線に乗って、世界最大のソグネ・フィヨルド船旅へ | |
ノルウェーの旅3 北上するバスの旅。 |
1998年5月25日。ベルゲンからオンダルスネスまで10時間余りのバスの旅。 | |
ノルウェーの旅4 オンダルスネス線(ラウマ線)絶景の旅。 |
1998年5月26日。列車が大きく2回Uターンして急坂を登るラウマ線。。 | |
ノルウェーの旅5 トロンハイム。 |
1998年5月27日。乗換駅のドンボ―スから幹線でトロンハイム。 | |
ノルウェーの旅6 寝台車は北極圏へ |
1998年5月27-28日。白夜のトロンハイム駅から寝台車は北へ、風の町ボードーへ。若い一家との出会い。 | |
ノルウェーの旅7 北極圏の町にて |
3泊4日の船旅、6月でも白樺の芽は固い北極圏の町キルケネス。タクシー運転手が、太陽が戻ってくる日の事を話してくれた。 | |