パリ脱出


 軍事専門家によると成田空港ロビーは全く警備されていないという。ヨーロッパの空港のロビーでは下士官と自動小銃を持った兵隊二人の三人組が常時パトロールしている。

 私が任地を引き上げ、パリのCDG空港からJL407便に乗ったのは9・11から間もない9月27日だった。引越運送会社の指導で貴重品はハンドキャリーしていた。金属類もカメラ類、腕時計10個余り、さらに妻の雑多な装身具などが手提鞄2個にごっそり詰め込んであった。
 職場の仲間内では元々監視が甘いと評判だった地元ミュールーズの空港では揉めなかったが、CDGではそうはいかず、私の鞄を見てX線透視担当係員の顔色が変わった。
 直ちに下士官兵の3人組が呼ばれて別室に連行された。粗暴ではないが有無を言わさぬ態度であり、こちらの眼を見ている兵隊のFA-MAS自動小銃の威圧感は凄い。小部屋にはテーブルと数脚の椅子があり、下士官が我々に手荷物を全部テーブルに置き、椅子に座って控えるよう命じた。兵隊は銃を胸に出口を固める。一緒に来たセキュリティ職員が丁寧に包装された物を全部広げていく。

 広げ終わると下士官がやれやれと云う顔をしてこれは全部お前の物か、なぜこんなに持ち歩いているのかと至極もっともな質問をしてきた。テロリストではないと判断したらしいものの今度は密輸などの犯罪を疑っているらしい。虎の子没収か留置の危機である。
 我々はフランスに住んでいたが東京に引っ越すのである、ほれこの通り住所変更の書類もあるし別便で送った荷物のインヴォイスもある。ここにある物は普通の旅行でもハンドキャリーする物ばかりではないか。引っ越しなので数が多いだけである。
 それはそれまでの駐在期間にフランスでのコミュニケーション能力をどれだけ培えたかを試される事態であった。ここで役に立ったのがオクさんのフランス語であった。ボンジュールとメルシーが精一杯の私一人だったならぶち込まれていたに違いない。



2001年9月27日
パリ CDG空港 F52ゲート
救援(?)のJAL407便
尾翼に鶴丸が見える

                                             2010年10月13日
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