| 年 | 月 日 | エピソード | 
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| 1900 | 6月20日 | リヨンに生まれる。 | 
| 1904 | 父の死でル・マンに移る。 | |
| 1917 | バカロレア試験。 | |
| 1921 | 4月 | 兵役に就く。 ストラスブール郊外;ノイ・ドルフ飛行場。 戦闘機旅団第2連隊整備中隊の2等兵としてスパッド・エルグモンXXC2型機の整備任務に就く。  | 
| 同時に民間飛行場において自費で飛行機操縦を習う。 初めて操縦した飛行機はファルマンF40練習機。  | 
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| ソッピース1・1/2ストラッター;操作ミスにより空中発火。 | 
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| ファルマンF40;滑走路上でエンジンストールさせ僚機と衝突。 | 
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| カサブランカのモロッコ飛行第37連隊に転属 軍のパイロットとしての訓練を開始。  | 
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| ブレゲー14軽爆撃機を高度400Mで宙返りさせ飛行停止処分。 ブレゲー14は、サン・テックスと共に最後の50フラン札に登場。  | 
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| 1922 | 1月 | イスリルに転属。 | 
| 2月 | アバル(パリ近郊)で士官候補生。 | |
| 8月 | ヴェルサイユに転属。 | |
| 11月 | ル・ブルージュで少尉任官;飛行第34連隊で直協・偵察任務に就く。 | |
| 1923 | 初め | アンリオHD14;エンジン故障で墜落し、頭蓋骨骨折の重傷を負う。 この負傷の後遺症としての頭痛に生涯悩まされる。  | 
| 5月 | 任務復帰許可前に無断飛行し処罰される。 | |
| 6月 | 満期除隊;予備役中尉。 | |
| 1926 | 1月 | 民間事業者用操縦免許取得。 | 
| 1928 | アフリカのリオ・デロ飛行場長からブレストの海軍兵学校操縦学生になる。 | |
| 離水失敗転覆や、開口部閉鎖を忘れて水上滑走し浸水事故などの武勇伝。 | ||
| 1933 | 8月 | エール・フランス発足と同時にテストパイロットとして採用される。 | 
| ここでもドア落下事故などインシデント多発。 | ||
| 12月 | ラテ293水上機で着水に失敗、機体大破、当人は無事だったが解雇される。 | |
| 1935 | 12月30日 | 自前のコードロン・シムーンで、パリ−サイゴン間記録飛行中、
航法ミスでリビア砂漠に不時着。
 この時の経験から星の王子様を書いたといわれている。  | 
| 1937 | 空軍予備役大尉。 | |
| 1938 | 2月14日 | グアテマラで離陸に失敗機体損傷。全身強打で重傷。 後遺症で左腕が肩より上がらなくなる。  | 
| 1939 | 12月17日 | フランス陸軍の第33飛行連隊第2偵察大隊第3中隊配属。 | 
| ポテ(Potez)637、ブロック(Bloch)M.B.174で実戦参加。 | ||
| 1940 | 5月22日 | ブロック174で偵察任務飛行中、指定高度750mで猛烈な対空砲火を浴びるが帰還。 この功により棕櫚戦功十字章を授けられる。  | 
| 7月 | フランス軍の崩壊で除隊。 | |
| 12月 | アメリカに渡る。 | |
| 1941 | 6月 | ヨーロッパに戻り、米軍指揮下に復活した第33飛行連隊第2偵察大隊にあらゆるコネを使って
復帰。 ロッキードP-38の写真偵察型F5Bの操縦訓練を開始。  | 
| 7月21日 | 初の偵察任務に出撃。 | |
| 8月1日 | 2回目の出撃の帰還時にオーバーランしてプロペラと主翼を破損、飛行停止処分に。 | |
| 1944 | 5月 | 戦線復帰。 | 
| 7月31日 | 0845;ロッキードF5B 223号機でコルシカ島ボルゴ基地から出撃。 グルノーブル・アンペリュ・アヌシー方面の高高度写真偵察任務に向かったまま帰還せず。  | 
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| 生涯飛行時間6400時間以上。 |