「カールベームとウィーンフィルハーモニー」の初来日


40年前、1975年3月、カール・ベームがウィーン・フィルを率いて来日した。当時のパンフレットにNHKの放送開始五十周年記念とある。

 入場券争奪戦は熾烈だった。まず事前にはがき応募による購入権利の抽選、応募は1名1口厳守。当選者は発売日に銀座のヤマハ楽器で先着順に1口2枚の入場券が買える。当然当日の銀座7丁目界隈は騒乱状態になった。それでもベームとウィーン・フィルのセット初来日であり、ベームの71歳という年齢から考えて、誰もがこれが最初で最後と思ってそれに耐えた。
 私もあらゆる伝の他人名義を借りて10口近く応募した。そのうちの1口が当って、東京最終公演の3月25日NHKホール、モーツァルトの交響曲41番とウィンナ・ワルツのプログラムの入場券を手に入れた。
 熱狂的ベーム教徒で音響機器エンジニアだった友人は抽選に外れ、NHK・FMの生放送対応の為に、当時給料8万円の身で35万円したプロ仕様のテープ・デッキを買った。

 その演奏は期待をはるかに超えていた。
 ベームの歳を感じさせない溌剌とした身のこなしと、そのベームに褒められ、立ち上がるよう指示された楽員が、少年のように無邪気に喜ぶ姿も感動的であった。ベーム教徒の友人とは「あのメヌエットは…、皇帝円舞曲は……」と後々まで語り合った。
 アンコール曲のトリッチトラッチポルカが終った後、大小様々な楽器を抱えた演奏者が新たに現れ着席していく、という光景に聴衆がざわめいた。第2のアンコール曲は「ニュールンベルクのマイスター・ジンガー第1幕への前奏曲」
 ワーグナー用に管と低音弦を増やしたウィーンフィルのぶ厚い音色、遅めのテンポで明快なメリハリをつけてのベームの指揮。それは至高の10分間だった。
 すぐ発売された4枚組実況録音盤には歓声や拍手が入っている。当然私の拍手も。
 日本の観衆の熱狂ぶりに逆に感激したベームは、その場で2年後のウィーンフィルとの再来日を約束し、本当にやって来た。
                                       2015年3月26日


注1;全ての演奏会は、NHK・TVとNHK・FMで生中継された。3月16日の初日は、ベートーベンのプログラムであったが、プログラムに先だって、まず『君が代』、続いて 『オーストリア国歌』が演奏された。国家的事業だったのである。
注2;ベーム自身は、1963年にベルリン・ドイツオペラと来日したことがあり、1975年は2回目。このあと、77年にウィーンフィルと、1980年にウィーン国立歌劇場引っ越し公演、計4回来日した。
注3;1975年には、リッカルド・ムーティ―が第二指揮者として来日した。今をときめく”帝王”ムーティ―様の若き日であった。

注4;当日のプログラム
交響曲第41番 ハ長調 『ジュピター』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・V.A.モーツァルト
第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ
第2楽章 アンダンテ・カンタヴィーレ
第3楽章 メヌエット・アレグレット
第4楽章 アレグロ・モルト

円舞曲『南国の薔薇』作品388・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨハン・シュトラウス
アンネン・ポルカ 作品117・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨハン・シュトラウス
皇帝円舞曲 作品437・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨハン・シュトラウス
常動曲 作品257・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨハン・シュトラウス
ピチカート・ポルカ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨハン/ヨーゼフ・シュトラウス
喜歌劇『こうもり』序曲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨハン・シュトラウス

アンコール曲
トリッチ・トラッチ・ポルカ 作品214・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヨハン・シュトラウス
楽劇『ニュールンベルクのマイスタージンガー』第一幕への前奏曲・・・・・・・・・・・・・・・・W.R.ワーグナー

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