あまかけるからくり愛ずる者

 飛行機が好きである。乗るのは勿論、見るのも、音を聞くのも好き、ネクタイも飛行機柄。飛行機では何が好きかと訊かれる事があるが、これは困る。「飛行機なら何でも好き」と答えたら、「そんな、趣味が悪い。では、女なら何でも良いのか」と言われた。しかし、女性の好みはともかく、飛行機なら何でも好きである。
 乗った飛行機は、全て日付、区間、エアライン、便名、機種、座席番号などを記録している。最も多数回乗ったエアラインはスイスのクロスエア。 機体ではサーブ2000、50人乗りのプロペラ機である。初めて乗ったのはダグラスDC-8、大きいのはB-747、小さいのでは4人乗りのビーチC-90、 もちろん全て定期便である。

 若い頃の興味は最新のジェット機一辺倒であったが、ある時、航空機用ピストン・エンジンの本を読み、はまってしまい、博物館等で実物を見る目が違ってきた。特にエレクトロニクス以前の時代、2段式過給器とかターボとかターボ・コンパウンドといった複雑怪奇なメカニズムを駆使して2000馬力、3000馬力という大パワーで大空を自在に駆け回った第二次大戦機や大戦後大型機のエンジンと機体の前ではかしこまってしまう。残念ながら、ピストン・エンジンの飛行機には乗った事がない。
 博物館で実物の飛行機を前に涙した事が2回ある。最初はローマ近くの博物館でMC72という水上機を見た時。ピストン・エンジン水上機として永遠の速度記録を保持する機体で、その真紅と金色の姿は人間が作った最も美しい機械だと思う。
 2回目は知覧の特攻平和会館の陸軍三式戦闘機と四式戦闘機。三式戦は液冷式エンジンを載み『飛燕』と名付けられたその力強く流麗なフォルムが胸を打つ。その隣の四式戦闘機『疾風』はアメリカから73年に飛行可能状態で返還された機体である。しかし、大戦機の動態保存という思想も技術もない母国での粗雑な扱いで、たちまち飛べなくなってしまった。その姿はただただ悲しい。

注)MC72の速度記録;時速709.209km
1934年10月23日 ガルダ湖/イタリア
カテゴリー;ピストン・エンジン駆動の水上機
                                                         2013年10月10日

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 SAAB2000 オペラ座の怪人号。ロンドンのハー・マジェスティ劇場公演10周年頃(1997)か?
 内部は至って普通のSAAB2000で、SAAB340のストレッチ型であるので、2+1のシートで天井は低く、空飛ぶ土管に変わりはない。
 ダウティの6枚プロペラの爆音は低く、大戦中の大型爆撃機を思わせる。



 マッキ・カストルディMC-72
 フィアットAS-6、V型24気筒エンジンで、機首の二重反転プロペラを回す。
 機体はイタリアン・レーシング・レッド。金色の部分はラジエターの放熱板。
 

               
 陸軍3式戦闘機『飛燕』
 ダイムラーベンツDB-601ライセンスの液冷V-12エンジン、ハ-40装備のその姿は美しく力強い。
しかし、このハ-40の生産は、当時の日本の工業技術水準では至難の技であった。
 特に、長いクランクシャフトとそれを支えるベアリング軸受け、高度によって過給度合を自動調整する過給機の工作は難しかった。
 くるくる回る対戦闘機格闘戦用ではなく、対爆撃機用の重戦闘機である。


 米軍のテストを受ける陸軍4式戦闘機『疾風』
 毀誉褒貶のある2000馬力空冷エンジン『誉』を装備、大戦末期にグラマンF-6FやムスタングP-51と渡り合った。
 当時の日本の航空ガソリンは基準の87オクタンにも満たないものだったが、この機体は米軍に接収されたのち100オクタンガソリンでテストされ、 驚異的な性能を記録した。飛行可能状態を保って日本に返還されたが、返還後一度も飛んでない。
 

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