あの人の声


 学生時代はクラシックギターのクラブに入っていたが、卒業後5年もするとギターに触れる事もしなくなった。 しかし、卒業後も年に一度位は会っている仲間はいる。彼らと飲んだ時「同期を集めよう」と話がまとまり、手分けして伝をたぐり3か月後に14人を集めた。
 その会に土産として4年生最後の発表会のCDを配った。30年ほど前、偶然から生録趣味の後輩が録音したテープがある事を知り、 ダビングして貰ったものが音源である。今回集まった仲間にとっては、そんな音が残っていようとは夢にも思っていなかった真のサプライズで、 しばし騒然となる位のインパクトがあった。
 プログラムのほとんどは独奏であるが二重奏もあった。後に結婚し、18年前、男の方が急逝してしまったデュオの片割れが「声も入ってるの?」 と聞いてきた。学生時代の彼女は、ミ二が似合う弾けるような女の子で、学年を越えてのアイドルであった。 彼女は昔のままの明るい調子で「だって私、あの人がどんな声だったか忘れちゃったのよ」と続けた。
 18年前、子供達のビデオなども撮らないまま逝ってしまったので、写真はあるが動画は勿論、声も全く残っていないのだそうである。 私がCDには場内アナウンスだけで当人の声は入ってないと言うと「そうか、ないのか」と残念そうであった。

 家に帰って改めて二人の演奏を聴いた。曲目は『ビバルディのアンダンテ』、原曲は二つのマンドリンの為の協奏曲。 二台のギターが嫋々たるホ短調の三連符で寄り添い語り合う曲で、そういう仲の男女以外の演奏はお家のご法度だったという曲である。 CDの演奏ではセカンド・ギターのトリルが特異で、先生に指摘されても頑として変えなかったそのトリルが仲間内ではいかにも彼らしいと評価されたのを思い出した。
「だって私、あの人がどんな声だったか忘れちゃったのよ」と明るく言った彼女は、あの男の特徴あるトリルをどういう思いで聞いたであろうか。

                                        2010年11月11日
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