馬上豊かに??


 秦野にある乗馬クラブでの体験乗馬予約当日。今にも降りそうで、天気予報は「全国的に雨でしょう」とにべもない。
 車で丹沢の山中に入って行くと、大きな施設が秘密基地のように忽然と現れた。若い女性の指導員がにこやかに迎えてくれ、 かいがいしく面倒を見てくれる。まずは服装、膝下まであるブーツ、防弾チョッキのようなプロテクターとヘルメット、 雨模様とあって格好良いフランス製乗馬用雨合羽も着せて貰う。手袋だけは持参の英国製である。
 私が乗る馬は青鹿毛の八歳のサラブレッド、せん馬のネロ号。競走馬としての才能は無かったが、 性格と容姿の良さを買われてここに来た大柄の馬で、体重は500キロを越えるという。 馬場で待っていたネロ号に角砂糖をプレゼントし、首筋や鼻面に触りながら声をかけてご挨拶。
 いざ乗馬。左手は手綱と一緒にたてがみの一掴みを握り、右手は鞍の後部、左足を鐙に浅く掛けて反動を付けて体を持ち上げ、 一気に跨る。勿論指導員が引き綱を抑えてくれている。鐙の踏み方、手綱の持ち方、馬への合図の出し方を教わる。
 指導員が引き綱を持ったままであるが、両足で蹴ってゴーの合図を出すと、並足で歩き始める。揺れは思ったより小さいが、 体を支えるのに手は使えないので腿の内側で鞍を締めつける。目の高さは2メートルを優に越えるので狭い馬場であっても景色が変わる。 自然と背筋が伸び視線が上がる、雨がぱらつく中、丹沢山裾の若葉が一段と輝きを増す。
 残念ながら本日は並足のみ。速足は反動を逃がす乗り方ができないと馬も人も痛いのだという。ストップは手綱を引く、 馬が止まったら首筋を撫でて声をかける。引き綱付きでゴー、ストップを繰り返しながらの約1時間で乗馬体験は終わった。 下馬してネロ号に角砂糖をあげ、御礼を言う。
 最後に馬房を見学した。毛色や仕草もさまざまな馬達を見て、騎兵だった伯父が「馬は皆違う。 可愛いもんだぞ」と繰り返し語っていたのを思い出す。

                           2013年5月10日

余談;;騎兵だった伯父
 明治42年(1909 年)生まれの伯父がなぜ騎兵になったか、階級は何であったか、今になっては知るのは難しいが、  将校ではなく、兵隊、もしくは下士官であったことは間違いない。
 その騎兵だった伯父がまだ子供だった頃起きた第一次世界大戦で、騎兵は榴弾と機関銃の前では無力であることが示されたが、 各国は大戦後も騎兵を式典用としてではなく、戦闘用の兵科として残していた。伯父が現役だった昭和の初め頃は、習志野は騎兵の町だったと思われる。
 兄が習志野勤務、私も一時津田沼近辺に住んだことから 「習志野か、津田沼駅はこんな様子だったなあ」と話すことがあり、昭和40年代半ばまでは津田沼駅とその周辺の基本レイアウトは昔のまま であったから、40年の歳月を経て、話が盛り上がった。

 伯父の話で記憶に残っているのは、「馬にはみんな違った個性があり、可愛い動物であり、信頼できる相棒である」ということと 「騎兵の訓練で一番難しく危険なのは、馬を泳がせ、自分も泳ぎながら川を渡る訓練である」という話である。
 兵隊と気心通ったコンビの馬とのペアであっても、お互いに水没している部分は見えない。 従って水中で水を掻く脚に蹴られる危険が非常に大きくなるのだそうである。
 また、泳いでいる人間の体は頭の後ろにあるという事を馬に良く覚えさせないと、頭のすぐ後ろに馬が寄り、のしかかってきて水中に 押し籠められたり、前脚で蹴られたりするそうである。
 コンラート・ローレンツの著書にも犬と一緒に泳ぐ時、犬に水中では人の体は頭の後ろにある事を覚えさせないと背中に乗られ、 前脚で引っ掻かれるという事が書かれている。犬なら擦り傷で済むが、馬では殺される確率が高いであろう。  

更に余談;;マドリッドの思い出
 この時の、最初に声を掛けてくれ、主に面倒みてくれた若い女性指導員は、お父上の仕事の関係で少女時代をマドリッドで過ごし、 そこで乗馬を習ったと話してくれた。
 家内が、フランス在住時代、町の乗馬クラブに少し通っていたころ、乗馬の個人装備を揃えるように言われ、 運動具屋さんに行ってヘルメット、鞭、ブーツ、ブーツの泥を落とす金具(これは単なる釘で非常に安い)などを買った話をすると、 「なんという運動具屋か?」と尋ねて来た。「デカトロンという大きな店だった」と答えると、「私もマドリッドのデカトロンで色々買った」 と懐かしそうな顔をした。デカトロンというのは、フランス資本の運動具の大チェーン店(小売店)で、フランスの大きな町の 郊外には必ずといってよいほど、青いロゴのデカトロンの大規模店舗がある。デカトロンというのは、十種競技という意味で、あらゆるスポーツと 野外の遊びの道具を売っている。
「マドリッドにもあるとは知らなかった」「ありましたよ」という話から、マドリッドの話になり、ロエベ本店近くの和食の店『はなとも』で 更に盛り上がった。帰る時、「スペインから帰国して、家族以外と『はなとも』のラーメンの話をしたのは初めてでとっても懐かしかった」と感謝された。 それでも、私たちが乗馬クラブの会員にならなかったのは、ま、色々な事情があるのである。

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