マジノ・ライン


 フランスが第一次と二次の大戦間にアルザス北部のドイツ国境に建設した地下要塞群は、 時の軍需大臣の名前からマジノ・ラインと名付けられた。
 しかし1940年のフランス侵攻においてドイツはマジノ・ラインを迂回してしまったので、何箇所かは破壊されず残った。
こうした要塞の内部は昔のまま保存されており、エレベータを使って立体的に見学できるガイドツアーがある。 司令部、通信室、弾薬庫、発電室、居住区、病院などとそれらを結んでトロッコのレールが敷かれた通路が張り 巡らされた巨大な施設を見ると、政治体制が異なる国と国境を接するとはどういうことかが良く判る。

 兄夫妻が欧州に来た折、ベルギー方面へのドライブ時、兄の希望でマジノ要塞に立ち寄った。 私自身2回行って様子を知っているシムセルホフ要塞に着いてみたら、補修工事で閉鎖中。
「何と云う事だ」嘆いていると道路脇にラ・ポストの黄色い車が見えた。
「しめた」郵便配達人に聞いて少し先のレジェーレ要塞に転進した。そうした回り道があって、レジェーレに着いたのは11時頃、 午前のガイドツアーの出発後で、駐車場はほぼ満車なのに地上に人影はなかった。 しかも午後のツアーの出発は2時とある。我々には先の旅程があるのでそんなに待っていられない。
「うーん残念」兄は再び天を仰いだ。 せめて、と外構を眺めていたら午前のツアーが帰って来た。 若いガイドに「この人は日本の退役陸軍大佐でマジノ要塞に大変興味を持っている。午後のツアーを待つ時間が無いのだが、 一寸中を覗くだけでも…」と頼み込むと、彼は快く昼休み時間を削って全部案内してあげよう、 と言ってくれた。
 兄が英語で「私は空挺隊員だった」と自己紹介すると、強いフランス訛の英語で 「僕も兵役中パラシュート部隊だった」と固い握手で同志的連帯成立。その後はプロ同士の会話が続き、 日仏軍事同盟は深まり、見学後も弁当を食べるなら一緒に、とオフィスに招かれ歓談は続いた。  

  
シムセルホフ要塞正面
現在見学可能なものの内では最も大規模な施設。現在は撤去されているが、外には物資補給用に鉄道が敷かれていた。
内部通路はトロッコのレールが敷かれており、その気になれば戦車でも通行可能な位大きい。
連隊規模の要塞兵を擁した。

レジェーレ要塞正面
地下道(見学不可)で結ばれた二か所の大口径砲の砲台を指揮する為の施設で、大隊規模の兵を擁した。
砲台は地上から見学可能であるが、荒れ放題である。
掲げられているのは三色旗とEU旗でドイツと連帯している。


レジェーレ要塞の砲台。
要塞本部からは、地上の行動を車なら数分でいける。
無人のまま荒れ放題で、コンクリートも修復が必要なくらい壊れていた。


レジェーレ要塞内部
これは厨房設備で重油炊き。平時でも外部から給食を受けず、自炊した。
電力は平時には外部から供給を受けたが、戦闘時は閉鎖してディーゼル発電機を動かした。
巨大なディーゼルエンジンは運転時に内部に、換気用の気流を起こす働きもあった。
毒ガス・アタックは地下要塞の最も恐れるところで、戦闘時はガス・マスクを携帯、警報が鳴ったら直ちに付けた。
シムセルホフでは見学ツアー中、予告なしでガス警報の大音響ブザーを鳴らすパフォーマンスがある。



レジェーレレ要塞天蓋
遠景はドイツ。手前の丸い物は機関銃座。
もし、敵に要塞外部にとりつかれたら、隣の要塞と互いにカバーしあう大砲から榴弾で砲撃して撃退する仕組み。
レジェーレとシムセルホフもそういう関係にあった。



   ガイドの英語は上手だったが、典型的なフランス英語だった。基礎は英国英語であるが、R音がH音になり、Hと語尾の Tはサイレントになる。非常にフラットで英語特有のイントネーションに乏しい、などが フランス訛の英語の特徴。例えば RADAR(レーダー)はハダー、Hello はアローである。英語国民に 人気がある訛で、特に女性が喋ると英国人中年男性にはたまらないらしい。

 

                                                      (2012年10月11日)                              



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