約束


「今晩はお新盆でお淋しいこってごいす」
 祖母の新盆で、親に代わって藤倉まで参上した清造は四角四面に挨拶し
「おまん、今夜は泊ってくずら」と作一は兵隊検査も近い甥との酒を思って相好を崩した。
「いえさ、電池で照らすカンテラを買ったから帰るだよ、橋んとこに家もでたし」
「ええっ、知らんど、ほんな家」
「ほんじゃ御免なって」

 夕立も止んで清造は泊っていけという伯父の再三の誘いを断り自転車を漕ぎだした。
 藤倉から清造の家まではずっと下りであるが、平沢橋を渡らなければならない。平沢は御坂山系から盆地南縁に向かって直線的に流れる暴れ川で、 10年前の豪雨では流木が引っ掛かった平沢橋をきっかけに大きな氾濫を起こした。橋の西詰にあった元吉の家は、防風林だけ残して押し流され、 一家5人の行方は今も分らない。噂が立って橋の袂に小さな地蔵が祀られ、暗くなって平沢橋を渡る者はいなくなった。

 ブレーキの音をぬるい闇に響かせながら、カンテラがぼんやりと照らす石ころ道を慎重に自転車を走らせた。 伯父の勧める酒も程々に切り上げたので酔いは感じない。これなら地蔵前も橋もあっというまに過ぎてしまえる。
 夕方上って行った時平沢橋脇の防風林の中に新しい家を見た気がしたのであるが、増水した平沢の音がして、地蔵の辺りまで来たのに明かり一つ見えない。 「はて」と思った瞬間、自転車ごと空中に投げ出された。四つん這いで自転車は探り当てたが、飛んだ時消えてしまったカンテラが見つからない。
 這い回っているうち気配を感じ、目だけ上げた。元吉の一家5人が、昔の記憶のままの姿で闇に浮かび、並んで清造を見下ろしていた。
 一番近くにいた同級の勝彦が、しゃがんで覗き込んだ「清ちゃん、何してたで、早くえべし」指先に冷たいものが触れた。 10年前の蒸し暑い日、勝っちゃんと川遊びをする約束をしたのを思い出した。途端に地面の感触が消え失せ、平沢の音が大きくなった。

                                             2010年9月10日
                                             戻る