歩きながら物を食べる、駅のホームで食べる、乗って食べる、立って食べる、携帯電話片手に食べる、これらは今や町の光景として当たり前である。
食べ物屋も歩きながら食べる事を前提に売っている。最近ではフライドチキンやカップ麺、それにコンビニのおでんも立ったままは勿論、
歩きながらあるいは電車内で食べるのをたじろぐものではないという。
子供の頃、祖母に怒られる最大の理由は「行儀が悪い」であった。
祖母は大柄できつい怖い婆さんだった。背くらべの歌で「ちまき食べ食べ兄さんが…」の部分を歌うと「行儀の悪い歌を歌うんじゃない」と怒鳴られた位で、
祖母に「何してるんだーっ」と怒られると余所の子も震え上がった。幸いにも当時恵方巻などと言う習慣はなかったが、
祖母の前で切ってない巻きずしを齧っていたら、などとは思っただけでぞっとする。
昭和30年代の田舎では、行儀が悪いと言われるとのは人間失格の烙印であった。その基本は物を食べる作法で、
祖母のみならずどこの家でも立ったまま、ましてや歩きながら物を食べるなどと言う行為は許さなかったのである。
小学校の修学学旅行先の江の島の駐車場で、私達が乗ったバスに物乞いの男が近寄って来た。先生は相手にするなと指示を出したが、
悪戯小僧が窓からパンを差し出した。男はパンを受け取るとすぐその場で歩きながら食べ始めた。
一人が叫んだ「見ろっ! 歩きながらパンを食っているぞ」それはバスの中の田舎小学生達を震撼させるに十分な大事件であった。
食べると言うのは動物としての本能に基づく行為で、路傍で赤の他人に見せるべきものではない。所構わず物を食べるのは、
本能に基づく行為のもう一方の性癖をも晒け出すようなものではないか。
北野武がラーメン屋で行列するというのは気恥ずかしい、という意味の事を言っていたが同意出来る。
これから物を食らうと言う顔を天下の往来に長時間晒すというのはかなり恥ずかしい事なのである。
2011年3月10日
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