言葉の躾 20150915©MoTak. <ホーム>へ <ギャラリー>へ
「〜がァ〜でェ、、」は昔全学連、、が親になり子を作りTV電波にも乗り、
今は妙齢
<美>女までが<お粗末頭脳過剰自己主張>話法、化粧より日本語の勉強した方が魅力増すのに、哀れ。 そもそも言語は人間だけが授かった
能力、粗末にしたら罰が当たる、延いて日本の将来も危うくなる。
何故なら<考え>は言葉で組み立てるもの、世に蔓延る崩れた関西語は言わば手抜き
部品、それ使って高品質製品は作れぬ、即ち思考力低下必然。 無法な中韓
の反日宣伝と戦うには論理力と国際水準の(英語的?)討議力が必須だろう
に、文部省積年怠慢の成果、オトナ共にはどちらも無い、国会論戦の貧困さ
が証拠。 言葉はまず<教えられ/真似し>て身に付くもの、ところが生憎
それを教える側が戦後の左翼的教育で甚だガサツ、特に女性教諭や母親達の
「〜だよ」「〜しな」は心寒い、せめて「〜ですよ、〜しなさい」程度には
凛としなくちゃ尊敬も得られまいに。 幸い
我が母は明治の骨太、江戸前の女言葉、優しさと厳しさの絶妙な配合、筋の通らぬ話には妥協せず、一生を
毅然と貫いた。 これは30年前銀座の角、当時アラ80でこのシャッキリ、
着物の好みも粋、、絶滅種。 思えば日本語自体も絶滅の危機、ガラパ日本
でしか通じないカタカナ語やケータイ語で育った世代が多数派になっては、、
「人は獲得した国語を通じて外界を把握し、精神を理解する」は渡部昇一説、
つまり殆ど何もワカラナイ、ほかの躾もほぼゼロ、形だけナリスマシたのが
数年先オ・モ・テ・ナ・シするわけ、恥ずかしいなあ、、え?私も絶滅種?■