去る10月で満 107歳、その1ヶ月後急速に

機能低下、あるいは年内?の危惧が的中し、

ついに。 ひと晩を自宅で過ごさせ、翌朝

(遥か以前既に申し込んであった)<献体>

でJ医大へ。 父の眠る墓に辿り着くのは

約2年後の見込み、最後までボケなかった

脳の組成を調べて欲しいものだが、どんな

研究の材料になるのやら、、の折、週刊誌

の記事、「献体が余って困る」。 葬式代

節約に(ビ)が利用?する由、、やれやれ。

そんならいっそ、生きているうちに決死の

社会的貢献を果たす、とするのはいかが?

の考えで昔<建設的自殺>システムを提案

したことがある。 何の反響も無かったが、

今はその必要が益々高まっている。 たとえばその<登録者>から選抜し、訓練を施し、あの「命を守りたい」のおバカ共々尖閣島に住まわせて

大陸や半島から攻撃を受けた暁には勇戦奮闘かつ玉砕、即ち<醜の御楯>となって貰う、、誰かが進んで命を捨ててこそ人々は奮い立つ、これで

全国民一挙にシャキッ!とするだろう。 マヤカシ憲法に縋って平和ボケ、武士道も大和魂も喪失した日本人だが、横暴非道の彼らに蹂躙されて

良いわけ無い。 そんな日を迎えず<風>になりたいが、思えば母は幸せだった。 早朝の霊安室にお馴染みの顔ぶれが次々お別れに来て下さり、

最後は理事長から担当職員揃って深々一礼のお見送り、、近く訪れるはずの異文化混在時代には多分望み得ない情景、その有難さに私は涙を禁じ

得なかった。 母の死顔も安らかだったが、終末を看取って下さった人々は心こもってさらに美しく、これが<教団>だったら入信を申し込んで

いたかも知れないくらい、自己流祖先崇拝の仏壇日参月例墓参では味わえないものを感じた次第。■ ■<ホーム>へ  ■<ギャラリー>へ