、、のような ('07-6-21 / Olympus C-2500L)

       20070629©MoTak.

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神様ブレッソンいわく、「最も大切なのは配列、

そして構図だ。 感情はそこに自ずと現れる」。

でもミニカマは神出鬼没、ピント出すだけで精

一杯、配列?構図? そんな余裕、アリマセン。

「美しさや形式だけの画は<パターン>、、」、

多くの写真展で空しさを感じるのはそれが原因、

と納得、だが自分も同類、平和日本のボケ市民、

深遠な思索や洞察一切無縁。 僅か頷けるのは

「息を凝らして一瞬を捉えるため自分の才能を

集中するのが写真。 肉体的かつ知的な喜びの

瞬間、、」、前のもこの画も隠居的集中の成果、、

想うに<空しい>写真展のもその程度の<喜び>、ブレッソン的基準だと<写真>ではない、多分<写真のようなもの>。 言えば<のような>

は写真家だけでなく、役人、政治家、経営者、法律家、医者、ブンカ人、エンタ人、みんな。 形だけのが自己中でノサバる悪しき<パターン>、

その実体が近頃次々露見、哀しくまたバカバカシイ。 末世を嘆きつつの写真三昧、救いはエリオット・アーウィットの一言、「写真は自分から

捜して撮れるものではない、被写体次第、、」。 即ち私はカマ公次第、生後3週、本日視認数4、依然ミニだが緑に化けて敏捷さも増し、捜す

のも撮るのも容易でないが、この元気さならサバイバルを遂げ、<のような>抜きのカマキリ、になれるだろう。 見届けてやりたいものだが、、■