近代戦と合戦 2013年8月

 先の大戦で、日本はアメリカの物量に負けた。これは正しい。 しかし、そのアメリカも余裕を持って対独、対日の両面戦争をやっていた訳ではない。 アメリカは豊かな物量で勝つ、という近代戦遂行の仕組みを作っていたように思える。

 戦争中に制式空母を24隻、護衛空母を100隻以上、輸送船を2700隻作った工業力の凄さは良く語られるが、 これは標準設計の船を今川焼でも作るようにひたすら建造したからこそ実現できた事である。 戦闘機も独、英そして日本でも進められていたジェット戦闘機の開発は敢えてせず、 陸軍・海軍・海兵隊で基本的に各1機種1エンジンとし、その大量生産に全力を挙げた。 飛行機に搭載する機関砲は米全軍全機種でM2機関砲だけとしていたし、 M2は陸上部隊や艦艇の対空機関砲としても統一して使われた。 歩兵用では、拳銃、小銃 自動小銃、軽機関銃の主火器を2種類の規格の弾薬で賄った。

 戦場では士官学校出身の現場指揮官が不足した。これに対応するために、志願や徴兵の大学生、 大卒の管理職や教員を速成教育し現場指揮官として戦場に送った。 この特別教育コースは戦後に企業の中間管理職教育に応用され、日本にも紹介された。
 兵器、造船、航空機産業では男手の不足から大量の女子単純筋肉労働者を動員した。 兵器はこれらの非熟練労働者でも問題なく生産できるように設計されていた。 女性工の動員は、女性の労働環境改善と社会進出に大きな影響を与えた。

 食においては、野戦食キット=レーション食を登場させたが、これはあくまでも戦闘食で、 前線の部隊にも野戦炊飯設備が付帯し、士気高揚策として可能な限り温かい食事を配給した。 しかもメニューと調理法を標準化し、本国からの食材補給の標準化合理化を図っていた。 砂糖の不足から軍用の嗜好飲料はコカコーラに一本化された。
 その結果、帰郷した兵士によって標準戦場食が全米に広まり、先祖伝来のソウルフードの文化を希薄にしたと言われる。 しかし逆に兵士のために牛の赤肉が大量徴用されて市井に不足した結果、牛赤肉ステーキ以外の肉料理にバラエティが生まれた。
 我々が思い浮かべる今日の「アメリカの食」は、 これらを元に戦後になって全米で多発的に発生普及したものであると言われる。

 対する日本は、軍艦、飛行機含むあらゆる兵器は一点豪華主義で標準化は考慮の外、 設計においても尖った性能重視で生産性は軽視された。
 陸軍と海軍では共通の兵器は無く、陸海軍とも飛行機によって搭載しているエンジンも機関砲も違う。 弾薬の規格は、航空機搭載機関砲用だけで何種類もあり、歩兵携行用火器でも機関銃と小銃の弾薬に互換性は無かった。 さらに、兵器・装備・食料を戦場に送る兵站は、開戦時そういう思想は存在しなかったと言われるくらい軽視されていた。 陸戦でのレーション食や前線での給食は勿論無しで、駐屯地を離れれば、調理は個々の兵士が戦闘の傍ら自ら行った。 戦争が始まると貧弱な兵站線は寸断され、前線は弾も食も干上がってしまった。 逆に敵の兵站線を破壊して補給を断つという考えは希薄で、最後まで最前線での主力決戦に拘った。

 大日本帝國の戦争遂行は、物量云々以前にその思想と仕組みにおいて、 内戦で短期戦だった戦国時代や幕末の「合戦」の域を出ていなかったのではないかと思えてならない。



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