アルプス一万尺を走る

 山脈とは平原と平原を隔てるものである。峠は陸路で山脈の向こうに行く為にある。曲がりくねった急坂を登りつめ、峠の頂上(鞍部)を越えれば、遠かった山の彼方の空の下にまだ見ぬ地が広がる。
 ヨーロッパにはアルプスというとんでもない山脈が文明社会のど真ん中に陣取っている。高速道路に囲まれたアルプスは、山中に入っても道路が網の目状に張り巡らされ整備されている。そしてその道路は必然的に峠道の連続になる。
 峠の前後では空気が違う。言語や国が変わったりもする。峠道はまた絶景である。アルプス地方の森林限界は1800メートル位で、その上を走れば景観を遮る樹木は一本もない。飛び込んでから部屋の有無を尋ねるのが常の谷あいの素朴な旅籠のもてなしも嬉しい。峠道ドライブというのは苦難もあるが、楽しみにも満ちている。
 私も車の運転が好きで、ヨーロッパ駐在中は精一杯ドライブを楽しもうと分不相応な高級車に乗っていたので、峠道を求めて山中を目指すようになった。連れ合いは渉外担当で旅籠を探して交渉し決定する役目だった。

 丁度そのころ、インターネットを通じて日本在住でヨーロッパドライブを趣味とする人と知り合った。彼は年一回、2週間位ヨーロッパをご夫妻で旅したが、ロンドンやパリなどには全く興味を示さず、徹底的に峠道ドライブであった。そのホームページ『ヨーロッパアルプス峠・谷ドライブ』は個人ホームページの常識的規模と内容を遥かに超越したもので、アルプスをドライブするということについての情報の.全てが網羅されている。
 アルプスで車で越えられる標高1500メートル以上の峠道全制覇を生涯の目標とするドライブの計画は毎年精緻を極め、地元民以外誰も知らないような細い峠道を探し出し、一筆書きのように結んで行くのだった。私はこの人を師匠と呼ぶことにした。
 さらに若い医師で、夏の休暇には当時まだ幼いと言ってよかったお嬢さんと奥様と三人でヨーロッパをドライブするのが趣味という人が参加してきた。この人も師匠ほど徹底しているわけではなかったが、峠道フリークで、車だけでなく汽車での峠越えにも詳しかった。長幼の序で私が兄弟子、彼が弟弟子ということになった。
 師匠のホームページや主催する公開掲示板には結局10人あまりの同好の士が集まった。仲間とする深遠かつ重箱の隅をつつきまわすアルプス談議は楽しかった。ガイドブックには絶対に載っていないアルプスの峠と谷の魅力にあふれていた。
 仲間たちとは峠道番付を作ったことがある。侃々諤々の議論の末、一位となったのはステルヴィオ峠であった。イタリアの南チロルのヴェノスタ谷からスイスに抜ける峠で、高さ2758メートルはアルプス第二位。ヴェノスタ谷から頂上まで30キロの標高差1868メートル、最後の5キロは平均斜度12度という坂道は、後にBBCの『トップ ギヤ』という番組で「世界最高のドライビングロード」に選ばれ、我々の審美眼の正しさが証明された。

 アルプス山脈の全域に魅力的な峠が分布しているが、標高が高い峠ベスト5の内、ステルヴィオ峠を除いた四つがフランスアルプスにある。 
 このフランスアルプスをエヴィアンからニースまで走行距離800キロ、10個以上の峠を越え、六日間を費やして縦断するドライブコースがミシュランガイドに載っている。最高地点はボネット展望台の2802メートル、最大の峠イズランは高さ2764メートル、前後の人里から人里まで70キロの無人地帯を行く。部分的には何人もが走っていたが、ミシュランガイドに忠実に一気に縦断するのは夢で、誰が最初に実行するか牽制し合った。
 そして、2000年9月、師匠にも先駆けて私が最初に完走した。当時の地元住民として第一号は譲れなかった。
 ゴールは、ニースのプロムナード・デ・ザングレのヴィクトリー・ランであった。



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