スイスはなぜ重武装国家であるのか

 アルザス駐在時代、スイスは家から一時間のドライブだったので、四季折々や、お客様があった時など頻繁に旅した。スイスに親しむにつれ、何故重武装国家であるのかという視点からも眺めるようにもなっていった。
 スイスの国土は、北側は比較的平ら、中央と南側はアルプスの山岳地帯である。そこでの移動はアルプス山脈の要所にある峠の道路や鉄道やトンネルを越えていく。それらの峠とそこを越える為の交通手段は、スイスにとって重要な観光資源でもあり、交通路は周辺国に開放されていて国際的な交易に寄与している。
 スイスには周辺国が戦争してまで取りたい重要な資源や産業があるわけではない。スイスの唯一の軍事的価値は周辺国同士を結ぶ最短連絡路、平時と同様に通り道としての価値である。
 戦時の中立国には、交戦国に自国の領土領空を利用させない義務がある。全方向においてこの義務を果たそうとすると大きな兵力が必要になる。忌避の抜け道がほとんどなく非常に厳格に運用されている徴兵制=国民皆兵制度は良く知られているが、ドイツ製のレオパルドU戦車390輌とアメリカ海軍現用の戦闘機F-18ホーネット33機を核に、国土面積や人口に比しての最新兵器装備率も世界屈指である。民兵には高性能自動小銃が常時個人配備されており、彼らがこれを肩に町を出歩く姿を私も見たことがある。国民には有事の際の心得を徹底的に教育しており、その内容には核攻撃への対応も含まれている。

 スイスは元々尚武の国である。弓の名手ウィリアム・テルは十四世紀ハプスブルクと戦って国の礎を作った。17世紀の初めに至るまで、ハプスブルク、サヴォイヤ、ブルゴーニュとの戦いに勝ってその版図を現在のスイスにまで拡大した。戦いによって国を築いたスイス人には「祖霊ましますこの山河、敵に踏ませてなるものか」という気概があるのだと思われる。
 第一次大戦時、周囲全部が戦場となり、進撃路、補給路が欲しい交戦国に侵入される可能性があった。スイス連邦政府は全国民に一切の侵略軍に対して降伏禁止、という政令を出し、一歩たりとも国土を踏ませない態勢をとって中立を守った。
 ナチス・ドイツは第二次大戦前から大きな脅威であった。スイス防衛の戦略は、北部は焦土化して放棄し、中部から南部に下がって防衛拠点を構え、最大87万人を動員して戦うというものだった。焦土化放棄される対象は、人口密集の北部農業工業地帯の全部で、チューリヒ、バーゼルといった大都市も含まれた。
 この壮絶な覚悟と、政治的軍事的には絶対中立を守るが経済は別、というしたたかなドクトリンでスイスは第二次大戦をスイスなりに戦った。
 中立維持のための直接戦闘も行なっていた。頻発する領空侵犯機は連合軍機、枢軸軍機に限らず対空火器と空軍機を動員して迎撃した。この防空戦闘は、5年間で撃墜240機、損失200機に及んだ。
 スイスが国境を接している国は、フランス、イタリア、オーストリア、ドイツである。ソ連消滅まで、スイスはおそらくワルシャワ条約軍対NATO軍の戦争という版図を描いていた。そして核攻撃される事をも考慮して中立を守る体制をとっていた。
 21世紀の今日、スイス周辺で戦争が起きたり、スイスが攻められたりする可能性があるのだろうか。スイスでもさすがにこうした議論は起きた。しかし昨年、スイス人は国民投票で徴兵制度の廃止を否決した。

 翻って日本はどうか。琉球諸島を虎視眈々と狙っている国が、軍事費年率10パーセント増と急速に軍備増強している。琉球諸島には特に資源も産業もないが、彼の国の手に落ちれば、彼の国は東支那海を内海とし、太平洋の西半分を制して、日本列島を扼すことが出来る。
 日米軍事基地は撤去して平和の島々にすべき、という論議がある。スイス人に意見を訊きたいところである。



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