20歳の時、母と兄と3人で富士山の頂上に登った。
頂上でのご来光は始めから期待しないのんびリとした登山であった。
剣が峰にも登り、3776メートル標の前で記念写真を撮った。その時はまた登る機会もある、と思ったのであるが、
結局今に至るまで富士登山はこの一回きりである。
生まれた家は、山梨県の北部で南側が開けている高台の村にあったので、縁側から富士山が良く見えた。
子供の頃には、富士山は「富士さん」だと思っていた。
お客様が縁側から「見事な富士山ですね」と誉めると「いいえ、お粗末な物ですが」と謙遜してしまっていた母は、
その後40年間、死ぬまで3人で行った富士登山の事を口にした。今思うと親孝行と呼べる事をしたのかもしれない。
縁側から見えるその富士山は、手前に御坂山塊があるので裾が隠れてしまう。しかし左右がきれいに対称で、
山肌には破たんがなく、襞も美しい甲斐の富士である。同じ姿の富士山は釜無川沿いに北上する甲州街道からずっと見え続け、
北に行くにつれてどんどん立ちあがってくる。長野県境の国界橋付近から南の空を眺めると、
富士山は思いもかけない程高い位置から長く美しい裾を引いている。
30代の頃、静岡県の裾野市に住んだ。富士山の南東斜面は、同心円状の等高線がきれいに残っている。
箱根スカイラインからは、海抜300メートル付近から頂上に至る大斜面を俯瞰で眺める事が出来る。
裾野市はその斜面の末端に載っている町で、裾野というのは古来からの地名ではないが、
大正4年に当時の東海道本線佐野駅を裾野駅と改称した事に始まる、というからおおよそ100年の歴史がある。
富士山は円錐形といわれるが、勿論数学的に正確な円錐というわけではない。極端に言うと山中湖に向けて置いた
三角おむすびの形をしている。裾野市からは、このおむすびを真横から見ることになるので、
富士山は細く見える。左側に見える西斜面の角度は富士山全周中最も急で30度を越える。なだらかに見える東斜面は
27度くらいであるが、視覚的にはその差は大きく、山全体が左に傾いて見える。
さらに宝永火口が山腹をえぐっているので非常に特徴がある姿である。
それまで富士山なんてどこから見ても同じ、と思っていただけにその姿は衝撃的であった。
富士山は、5000年前から1000年前位まで続いた北西から南東に走る噴火口列からの新富士噴火と呼ばれる火山活動で形成された。
日本列島の基本的な卓越風は西風である。特に冬の富士山付近では、西高東低の等高線に直角の非常に強い西風が続く。
西風は火山噴出物を運び、東斜面に大量の落下物をもたらした。篭坂峠の昇り口付近からは、
これらの落下物からなる富士山全周で最もボリュームがある東斜面が、立ちはだかるように聳え、
富士山ではない別の山のように見える。
冬の西風は現在の富士山の姿にも大きな変化を与えている。西風は西斜面に降り積もった雪を吹き上げて東斜面に運ぶので、
襞の少ない東斜面は巨大な白い一枚岩となる。東海道新幹線の小田原付近からは、
この東斜面を見る事になるので冬は常に全身真っ白である。これが角度で45度南の三島まで来ると、
宝永火口が見えてくるという以外にもがらり様相が変わる。特に強い冬型が数日続いた後などは雪が吹き飛ばされ、
さながら夏姿になっている事がある。東京で氷点下を記録するような強烈な寒波の中、
雪がほとんどない黒い富士山を見るのは一寸異様である。
東海道新幹線からの富士山と言えば、万葉の時代から愛でられた富士川河口付近からの姿がある。
愛鷹山と富士川の間で前に障害物がないのはほんの数秒間でしかないが、
海抜ゼロメートルから3776メートルまで一気のその姿は、新幹線車窓からという事も含めて日本の宝の一つであろう。