アームストロング船長


 8月25日、アポロ11号のニール・アームストロング船長が亡くなった。行年82歳。月面第一歩は1969年、 39歳の時だった。
 アポロ11号の月面着陸の時、学生だった私は夏休みで、日がな一日そのテレビ中継を眺め、 着陸した瞬間「こちら静かの基地」と表現した機知に感激し、月面第一歩の瞬間の言葉を「もっとアメリカ人ぽい事を言えば 良いのに案外真面目」などと思ったのを覚えている。
 同時通訳の西山千さんの独特な調子の「こちらヒューストン」と云う呼びかけ、火山学の久野久教授の解説など、 思い出す事が多い月面着陸中継であった。

 後に関連書物を読むと、月面着陸の最後の瞬間、着陸誘導と着陸中止上昇のシミュレーションの両方のデータが流入した コンピュータがオーバーフローしてフリーズ、アームストロングは手動操縦でクレーターを避け着陸したのだという。 空軍テストパイロット時代には40種以上の飛行機のテストを行い、極超音速実験機X15では、獲得高度と飛行時間の 記録を打ち立てた腕が生かさた瞬間であろう。
 にもかかわらず、表面的にはアポロ11号の全ミッションは、後にフィクション説も出る位「全て順調」で、 事故が起きたアポロ13号は映画になったのに、最初の11号は映画にはならなかった。
 しかし、月面第一歩を巡ってのオルドリンとの葛藤、無線の二人の声の区別が家族にも付けられないという事態、 月周回軌道上の司令船内のコリンズが必要もなく度々会話に割りこんできた、などというのは生身の人間を感じさせる エピソードである。
 時のアメリカはベトナム戦争の真っ最中。その中で人間を月に送り込むという途方もないミッションを17号までの6隻で成功させ、 事故があった13号でも乗員を生還させて、高い危機管理能力も示したアポロ計画は人類の偉業として讃えたい。
「月が美しく見えたら、彼の事を思い出して、彼に向かってウィンクして欲しい」アームストロングの遺族の言葉だという。
                                                 2012年9月14日


 Houston, Tranquility Base here. The Eagle has landed.
   ヒューストン、こちら静かの基地。イーグルは着陸した。
 静かの海に着陸した月着陸船イーグルからの第一声。共に実戦経験のある軍人(戦闘機パイロット)の彼等にとって Baseという言葉には、作戦上の拠点と云う以外に、安息の地も含めた特別な意味が籠められていたと思われる。

 That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind.
   これは(一人の)人間にとって小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ。
 月に足を付けた瞬間のアームストロングの有名な言葉。manの前のaを言った、言わなかったの議論があり、本人は言わなかったかもしれないと告白している。 ()付きのaはアームストロング自身の表現。

 オルドリンとの確執。
 本来、船長は船を守る者である。従って、何が起こるか判らない月面に最初の人間を送りだす時は船長は船に残るべき、 即ち、人類月面第一歩はオルドリンであるべき、という考え方があり、オルドリンもそう考えていたという。
 しかし、アームストロングは自分でやる気満々だったし、月着陸船の座席は、船長席がドア側で、船長が先に降りないと、 奥側の乗員は外に出られない、という事情もあって、アームストロングが先に降りた。
 アポロ計画の時代の宇宙飛行士は、現代の協調性重視で選考された人格者達と違って、尖った天才の集まりだった。
 アメリカ空軍史上最高のテストパイロットのチャック・イエーガーが認めた飛行機操縦の天才アームストロングに対して、 オルドリンは戦闘機パイロット出身であったが、「宇宙に送り出された最高の頭脳」と言われた極めて優秀な宇宙工学の学者 でもあった。

 月が青く見えたら
 一カ月に二回満月がある場合、後の方の満月をブルームーンという。2012年8月はブルームーンがあった月だった。

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