1999年の皆既日蝕


 5月21日金環日蝕の朝、曇っていたが外の声を聞き、私も7時過ぎに近所の公園に行った。 7時34分、一瞬薄くなった雲を通して金環が見え、公園に集まった老若男女から歓声があがった。 用意した日蝕眼鏡も要らない雲越しだったものの、確かに金環を 見た。日蝕の間は概ね曇天で、 普段と違う「妙な暗さ」が印象に残った。晴れていたら その「妙な」という印象はもっと強かったであろう。

 1999年8月11日のヨーロッパ皆既日食のとき、私が居たアルザスのコルマール は皆既日蝕帯の少し南で98%の蝕であった。 事前の新聞やテレビの騒ぎは今回の日本と同じかもっと凄く、まぶしさにはごく弱い青い眼の人が多い国なせいか、 日蝕の太陽を直接見るなという注意は丁寧を極めた。そのため「日蝕の太陽の光は特別強いので一 寸でも見ると失明する」 と信じ込む人もいた。ノストラダムスの「1999年7の月の破滅」と結び付ける与太話も流布された。

 当日、会社は夏季休業中であったが、私は日直で出勤した。朝からさっと日が差した かと思うと、 一転黒雲に覆われ大粒の雨が落ちてくる、といった荒れ気味の天気だった。 平原のアルザスは見通しが利く、 あちこちに黒雲と驟雨が現れ移動して行くのが見えた。 最大蝕は真昼であったので、とにかく晴れろと念じつつ弁当を 抱えて外で待機した。蝕が大きくなるにつれて暗く、風が涼しくなっていった。摩訶不思議な暗さに勘違いしたか烏が啼き始めた。 そして奇蹟が起きた。まさに最大蝕に合わせたように雲が大きく切れ、青空に黒い太陽が現われたのである。

 夜のニュースでは、フランスの皆既帯の下の天気は悪く、ほとんど観測不能だったと伝え られ、 観測機材を背にずぶ濡れで乾杯する姿が映った。コルマールから50キロ北で皆 既帯下のストラスブール付近も土砂降りだった、 と休みで皆既帯まで出かけた連中に聞いた。ドイツや東ヨーロッパは広範囲に快晴で皆既日蝕がきれいに見えたようである。
                                                        (2012年6月13日)
  

                                                          木漏れ日、三日月形になっている。
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