不明の至り (2009-12-6 / Lumix FZ28)

      20091215©MoTak.

NHK<日曜美術館>で知って都写真美術館へ

<セバスチャン・サルガド展>を観に。 いや、

マイリました。 ブレッソンが神様ならこの人

は仏様、今まで知らずに来た不明を恥じるのみ。

動物や風景の画は僅か、主体は極限的な悲惨を

生きる人々。 フツーの写真展では、俺だって

その気でそこまで行きゃこのくらいには撮るぜ、

てな不遜を禁じ得ず、感銘すること稀な私だが、

あのような人々をあのような構図とタイミング

で捉える(ために行くことがそもそも無いし)

ことは出来そうにない、向かい合う勇気が無い、

所詮<通りがかりカメラマン>、、とヘコんだ次第。 しかもセルガドのモノクロ、事象の本質を直視するには色彩など邪魔、と言わんばかり

の毅然、つい<色>に迷いがちな日ごろの自分が滑稽に思えて甚だ遺憾。 しかしそのあとついでに観た<ブレッソン/伊兵衛>展で<不遜>

を取り戻し、うん、サルガドと比べると伊兵衛さんも<通りがかり>レベルだよなあ、標準レンズ主体なのが共通と言えば言えるが<迫>力は

大違い、、 さしあたり広大な世界に無縁な隠居は近々と<迫>ることで<力>不足を補うとしよう。 たとえば雨模様の朝のシコンノボタン、

シベに宿った雫の輝き、、に見入るささやかな喜びも捨てがたいけれど、来世ではセルガドに倣って<スケール>と<本質>に挑んでみようか。■

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