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メール・マガジン
「FNサービス 問題解決おたすけマン」
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★第084号 ’01−03−23★
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Think aloud !
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★Think aloud : 考えを言葉に表す、自問自答する
●アチラの映画などに
主人公が考えごとをしながら、檻の中の熊のように行ったり来たり、
大声で喋りながら歩き回る場面、ありますね。 相手がいなかろう
と、いても聴いていなかろうと、また答えなかろうと、という、、
あれは演技だろう、と昔は思い、その後そうでもないと知りました。
ロダンの「考える人」のように、沈思黙考もするには違いないのだ
が、こと<仕事>に関して、特に上位者は、かなり
aloud! 。
比べて日本人は、啄木が「じっと手を見」たように、静かに考える。
三船敏郎往年の「男は黙って○○ビール!」またしかり。 寡黙な
姿が好ましい、、 が、いわば国民的認識でした。
*
それからすると、サーモ屋時代の私はやや<日本人離れ>、つまり
好ましくないヤツ、だったようです。 職場でも家でも、実に
よく喋りましたから。
今にして想えば、常に背水の陣。 失敗が許されない身の上ゆえの、
無意識的事前チェック作業であったのかも。 考えては声に出し、
<音>を耳で捉える。 もし不自然な響きが感じられたら、未だ
練り上げ不十分、説得力不足、という単純な判定。 だいたい、
世間で通用しない話なら、恥ずかしくて声に出せないはず。 自己
規制の手段でもありました。 その程度には慎み深かったわけで、
シャチョーとしてかなりよく考える方でしたが、時には社員たちに
とってあまり喜べない案に惹かれることもある。 それをいきなり
突き付けたら彼らも協力しにくかろうが、こちらが喋っていたのを
聞いた上でなら、、 と、一種の予防注射みたいな
Think aloud 。
第一仕事が仕事、社内全体、技術系の気風でしたから、カタヨリも
あり得る。 それがそのまま、世間様にも通用させられるのか?
社内は自分の支配力で何とでも出来ましたが、世間様までは動かせ
ない。 その辺を確かめようにも、社外重役なんて洒落た考え方、
当時は無かったし、あったとしても素寒貧の町工場に力を貸す人が
いるはずも無かった。 そこで、
利害関係は比較的薄く、しかし我が社への関心は濃く、しかも中正
な見解を述べる知的能力と権威を持った、、などの点からたとえば、
取引銀行の支店長たちを相手に
Think aloud を重ねたものです。
* *
幸い私にはもう一人、この上ない聴き手がいました。 <偉大なる
フツー>の典型、我が女房です。 アイデアが湧いたらまず彼女
にぶつけてみる。 基本的に、分かってもらえるか、どうか?
ワカラナイと言われる都度、どうして? どこが? とチェックし、
何度も喋り直し聞き直してもらっているうち、語り口が固まる。
工業人でない彼女の抱く疑念や期待は、当然<文系常識>的ですが、
言わせてもらうなら<非常識>的。 その食い違いを埋める説明
方法を準備しておけば本番も万全だろう、、 で、
帰宅が深夜であっても、風呂に浸りながら一席ぶつ。 食事中や、
休みの日も。 彼女の率直な反応のお陰で、我々のプランがどれ
ほど改善されたことか。 まさに
Two heads are better than one.
かくて四六時中ショーバイの話ばかり、、 小企業の主には珍しく
ないことですが。 実は職場の相棒だった<専務>もその一人、
* * *
そう、この相棒、延々20年間
Think aloud のパートナーでした。
コンビを組んだ当初、かなり長く一緒に顧客開拓に走り回ったもの
でしたが、それは互いにアイデアを交わし合う貴重な時間にもなり、
お陰で、運転する私も眠気を催さずに済みました。
彼の守備範囲は営業、財務、人扱い。 当社少数派の人文系だった
ので、何ごとも両面から論じ合うことが出来、有益でした。 が、
彼の最悪な特徴は有言<不>実行。 主張は正統派だが、それを
必ず実行するとは限らない。 当時隆盛の段階に入ったゴルフを
「真昼間からタマなんか追っかけて長ーい時間を過ごすとは、、」
亡国の遊技だ、とバッサリ。 結核を患った彼、手術で克服はした
ものの、その間に自身の事業も失い、アバラを切り取られて体形が
歪んでしまい、肉体競技不向きになってしまった。 だから彼の
その非難は、悔し紛れの偏見を含んでいたに違いありません。 が、
実際ゴルフを嗜み、すぐシングルだろうとも言われた私自身の印象
でも、「時間のムダ、エンジニア人生の浪費、、」
だったので「そりゃそうだ」。 こちらは<有言実行>が看板です
から、直ちに会員権は売り飛ばす(そのため後々、先見の明の無さ
を嗤われましたよ)、道具は知人に進呈する、、 が昭和40年。
彼の<亡国>論は<銀座の夜>にも及び、糞味噌に非難するのです
が、ネオン瞬き初める時刻になると彼の良心もアッサリ<閉店>。
イソイソと遠慮なく、そちらへ足を向ける奴、、 でした。
バーはどこでも、空気の良くない密閉空間。 その季節の自然気温
とは真っ逆様の人工室温。 <片肺>の彼がハシゴする不健康さ
を見るに見かね、呑まない私がお守り役を引き受ける羽目に、、
その結果、彼を自宅に送って別れるまで、きり無く
Think aloud!第78号の<デコンストラクション>的発想も、いわば私のガマン
の産物であったわけです。 ローマは一<夜>にして成らず、、
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●声に出すこと
のご利益は、それだけじゃありません。 その声が天にまで届く
らしく、ユメでしかないくらいのムシの良い考えが、何故かホント
になる、、 いや本当に、<なった>のです。
たとえば、サーモスタット屋を始めたばかりの頃、「どこへ売ると
言っても、こりゃ家電の部品。 家電なら(当時は押しも押されぬ)
マツシタさんだぜ。 あそこで採用されるのでなかったらオトコ
じゃない(昔はそう言ったものでしたが、ね)よなあ、、」
てなことを1年以上、実は何の根拠も無しに、ただ喋り続けました。
そしたらある日、ボストンバッグを提げた、パッとしないオッサン
が、狭い路地奥の我がポンコツ工場へ訪ねて来たのです。 いわく、
「私、中川電機の資材部長で水谷という者ですが、、」 え?!
松下の冷蔵庫部門そのものの、あの中川さん? はい、そうです。
(その後<松下冷機>となりました)
それが始まり、多少のモタツキはあったが、我々のサーモスタット、
本当に採用されたのですよ。 私の第5番目の設計、<#05>と
名付けた素朴なやつが、、
やはり、Think aloud 、声に出したのが良かったんだ!
*
Believe it or not 、これは
True Story。 ただし、<その前>もあったのです。 「おたすけ」はその当時からの習性、、
昭和39年秋、部品メーカーI機器が倒産し、そのサーモスタット
を使っていたY電機ではヤグラこたつの生産が立ち往生。 しかし
Y電機自体も経営不振、いまさら取引開始しようとは誰も思わない、、
が、なり立てのサーモ屋には<顧客>が必要。 で乾坤一擲、私共
が引き受けましょう、と名乗り出て、私の<#01>で応じました。
「火中に栗を拾う」だぞ、と周囲は危ぶみましたが、
何しろ降って湧いたような話、しかも生産シーズンに入ってのこと。
金型を起こし、ジグを作り、ラインを編成し、試験設備を整え、、
そりゃもう全社一丸獅子奮迅の働き。 スレスレではありましたが、
幸い、Y社の生産日程を維持することに成功。 感謝されました。
しかし何より評価されたのは品質です。 日ごろ「我が社の将来は
我が社の品質に在り」が私の
Think aloud。 当然のことでしたが、以前のI機器のとは別格。 たちまち次年度分も受注、即生産開始。
折しも中堅メーカーT社のコタツで、T社自製のサーモで品質問題
発生。 たまたまY社での評価を知ったT社から、我が<#01>
の流用で対処したいというSOS。 義を見てせざるは、、
てな具合で、思いがけなく<大量>生産を経験すると同時に、名も
轟かせてしまった、、 それが知らぬ間に、<中川電機>へも、、
* *
良いサーモスタットを、の
Think aloud がアチコチにコダマするうちに<現実>化してしまったわけ。 だから、敢えて言うのです。
(たとえネゴトでも)唱えよ、さらば現れん。 実は、
その<Y電機の前>が未だありました。 東京オリンピックの昭和
39年、漸く海外旅行が自由化された年の6月、それを記念?して
新聞社が主催した訪米ツアーがありました。 まずそれに(私より
洞察力に優れ、しかし英語はダメ、の)相棒を参加させたのです。
帰国した彼の報告では、「ムコウじゃ温度制御がすごく快適だった。
手を付けるなら、あれだよ」。 もう<下請け>は卒業し、自社
開発製品を持って独立しよう、が我々の
Think aloud でしたから、
じゃ私も見てこよう。 だが相棒は「団体旅行じゃ自由が利かない、
一人旅に限る」と。 まあ何と、気楽に言ってくれるじゃないか、、
その委細は(<英語>に関して)65号で述べた通り。 約45日
歩き回った後、ロサンゼルスから東京へ連絡したら「不況襲来!」
の声。 それが前記Y電機の不振やI機器の倒産につながる。 で、
帰国するやトラックを仕立て、山梨の倒産工場へ走って装置や部品
など、一式のガラクタを買い取ったのですが、、 結局クズばかり。
払った50万円は、いわば営業権の代金でした。 振り返ると、
父を脳溢血で失い、何の引き継ぎも無くポンコツ工場の主となった
のが25才。 よし、初め5年は<何を手がけるか>の探索だ!と
宣言した私が、予定通りの29才、ともかくサーモ屋に化けました。
そこに始まった前記<#01>1年間の大奮闘で、その<5年目>
は自己採点で満点。 まさに
Think aloud! の成せる業でしたな。
* * *
実は、我々両名のその初渡米体験に<もう一つ前>があったのです。
それは労働問題。 当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった<総評全金属>
や<合同労組>のコワイ人たちと、ついには法廷にまで持ち込んで
戦った数ヶ月。 この世は<憂き世>だ、と痛感させられましたよ。
その経験を通じて、この国は法治国家なんかじゃない、三権のどれ
も善良な納税者を助けはしない、と悟らされました。 <日本人>
がみんな嫌いになってしまった。 生きて働く意欲も失いかけた、、
が、相棒の
Think aloud、「日本人だけが人間、じゃない。 海の向こうも見てからにしようよ、自殺は」。 それもそうだ、、
問題の労働ゴロを職安で拾い、私の反対も「大丈夫、ワシが、」と
押し切って採ったのは相棒だったのに、何故か<団交>の日は急に
ヨンドコロナイ用事が発生して、いなくなるヤツ、でしたな、彼は。
経営側は我々二人、それが時には私一人。 相手はいつも団体さん。
机の下で、私の膝は少々ガタついていましたよ。 しかし、
職場の正義と事業の信義を
aloud に語って、負けずに張り合った。そして悪党の親玉を放逐して以後は、こちらから組合に団交を申し
入れることあまりにも頻繁のため、ついに組合は空中分解、、
脅したわけじゃない。「働くことなら私も本職。 働き方について
話し合うのは大賛成。 君らだいたい<労働>者なんだからな、、」
知識、技能、何一つヒケは取らない、必要なら腕力勝負も、の私が
本気で呼びかけた。 けれども、皮一枚下の彼らは怠け者で卑怯者。
aloud には語れない程度の考えしか持っていなかったのに違いない。
とうとう組合役員のなり手が無くなってしまったわけ。 思うに、
Think aloud は<正しく考える>ための方法、正義の味方でした。
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●言い換えれば、
aloud に
Think する、とは<情報発信>。 日本人の最も補強を要する部分です、特に<上>に立つ者ほど。 たとえば歴代総理を
ご覧なさい。 何を発信してくれましたかね?
もちろん、管理職もまた
Think aloud すべきです。 が、風土によっては、必ずしもさせてもらえるとは限らないし、お人柄次第で
必ずしも出来る、あるいはなさる、とは限らない。
で、どうします?
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私なら、Rational Process のワーク・シートを使います。 自分の
考えを<聞かせる>以上に<見せる>ことが出来、さらに資料と
して残せるし、ほかへも流用・活用できる。
見せれば、色々な人から、違った角度から、の知恵がもらえるかも。
話し合いがしやすい、相手も分かりやすい。 しかも出来上がった
時には、すでに関係者の共通認識が得られている、、 具合宜しい。
* *
困るのは、普段のイバリ方からすれば
Think aloud が容易なはずの<上>が意外となさらないこと。 従う者としては、そのアタマの
中身が知りたい。 が、尋ねにくくもあるし、尋ねても答えてくれ
ない(答えられない?!)、、 かも知れない。
なら代わりに、あなたがワーク・シートにざっと書き込んでしまい、
それを<上>にご覧頂くことをお奨めします。 叩き台があれば、
<叩く>くらいは多分お出来でしょうから。 叩かれる方にしても、
初めからそのつもりだから痛くもない、傷つかない、、
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では今回のCM:
Rational Process は Think aloud のツール!即ち、情報発信促進のツール!
■竹島元一■
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